娘について

      2017/12/13

娘は、生まれてからあまり手のかからない子でした。

一人でも機嫌よく遊ぶし、遊んでお腹いっぱいになるとミッフィーちゃんを抱っこして(ちゅぱちゅぱして)寝てくれる子でした。

友達と遊んでいてもほかの子はみんな寝かしつけに大変そうで、よくうらやましがられました。

歩くことやベビーカーに乗るのが好きだったので、抱っこがイヤな事もたまにありました。

そしてコップでの飲み方が変わっていて、コップの下に舌がでるのです。

みんなからは、母乳飲みのなごりなんじゃない?と言われ、さほど気にしていませんでした。

言葉も変わった言い回しをする事があって、たぶんそのように聞こえていてそのまま癖のように使っていたのかもしれませんが、「いただきます」を「いーぱいちゅ」と言ったりしていました。

3歳頃になると突然スーパーや地下街など音の大きいところを嫌がりました。(5歳頃には収まっていましたが)

幼稚園でも友達はたくさんいたし仲良く遊んでいました。ただたまにみんなで何かを始める時にそれまでやっていた遊びをすぐに中断できないことはあったそうです。

こうやって今みると、自閉症スペクトラムだろうなあ、と思いますが当時はそれで困ってはいなかったのでなんとも思っていませんでした。

 

小学校へ行くようになり、まずは勉強についていけなくなりました。

この頃の女の子って、仲良しグループで固まっていくのですが娘は特定のグループに入ったり特定の仲の良い子がいるという感じではありませんでした。

2年生の頃は、お友達のものを勝手にもってきてしまったりして、その頃通っていた塾の先生にアスペルガー症候群ではないかと言われて、初めてちょっと違うのかなあ、と感じました。

下の息子が2歳下にいるのですが、彼は1歳頃から多動ではないかと感じていたのですが娘に何かあるとは全く考えていませんでした。

そして息子が1年生になった時、娘3年生でようやくADHDとの診断がつきました。

 

診断がつき、4年生から支援級にも所属しました。

国語や算数は個別で勉強し、その他の教科は一般クラスで勉強していました。

途中から支援級に所属したことによって、クラスでの反応など気にしていたのですが、特に問題なく受け入れてもらえました。

ただこの先、中学生になったらどうなるのだろう?高校生になったら…?という思いもあり、5年生の時に自然の中にある学校へ家族で移住しました。

ADHDと診断された娘ですが、なんか違うような気がしていました。同じADHDの息子とは、全然違います。

学力は少し低いけど、物事の理解力や生活力は息子よりあります。

転校先の学校は、支援学級はありませんが少人数の学校なので思ったとおり子供達には合っていました。

ここで、生活力をたくさん身につけたと思います。

のちに、娘も軽度知的と自閉症スペクトラムと診断名が変わりました。

やはり塾の先生に言われたようにアスペルガーの要素の強い子でした。

昔から自分が納得したことしかやらない子だったので、中学生になって学校や先生へ疑問点が出てから娘も不登校になりました。

現在中3ですが、みんなが当たり前のように普通の高校へ行くなか、自分のペースややりたいことに合わせられる通信制高校を選び、働く事を希望しています。

 

 

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Emma

名前:Emma☆衣麻(本名:藤田麻衣子) 職業:片づけ&発達障害暮らしサポーター。過去11回の引っ越し経験から整理収納を学び、フリーランスの整理収納インストラクターとして活動を開始。その後、発達障害の家族との関わりを通して、発達障害住環境サポーターになる。現在は、自身の経験を活かして発達障害・グレーゾーンの方向けに心とからだと住まいを整えて生きやすくなる方法などを提供している。

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